食べることは生きることに直結する。
でも、毎日毎日当たり前に、3食ご飯が出てくる生活を送る子供にとって、時に「食」に対する優先度は著しく低くなる。
小学5年生のころ、私は数か月にわたり給食を食べることを拒否した。
きっかけは本当に些細なことだった。
そんなお話。
「これからは給食セットは自分で洗ってね」それがきっかけだった
小学5年生になった春、母親にこんなようなことを言われた。
「もう高学年なんだし、これからは給食セットは自分で洗ってね」と。
(めんどくさいなぁ・・・)
心底そう思った。
馬鹿みたいな話だと思われるかもしれない。これがきっかけで、私は何か月も学校で給食を食べることを拒否するようになった。
もちろん、最初のころは頑張って洗っていた。だが、次第に億劫になっていた。たかだか数分で済む、「給食セットを洗う」という行為が。
ある時、妙案を思いつく。
給食セットを使わなければ、給食セットを洗わずに済む。だから食べない。
そんな、いかにも子供らしい稚拙な考えで、私は給食を食べなくなった。
給食を食べなくても特に困らなかった。毎朝毎晩、大量のごはんを食べていたから
祖母は戦争を経験した人だ。
食べられるものがあるなら、子供にしっかり食べさせろ。そういう時代の人だった。
母は母で、子供をお腹いっぱいにさせねば、という思いがあったのだろう。
冷蔵庫は常にパンパンだったし、食卓にはいつも、たくさんの大皿が並んでいた。
子供ながらに、これらをキチンと平らげることが家庭の平穏に繋がると理解し、幼いころから無理してでも食べていた。
そんな環境だったから、給食を抜くくらいがむしろ丁度よかった。
おまけに、少し早く中二病が訪れた。
完全に、「給食を食べないワタシ」に酔っていたのだ。
「給食を食べないことをお母さんに言ってもいいか?」担任の言葉で徐々に食べるようになる
担任の先生は、私の顔色をうかがいつつ、何度か食べない理由を尋ねてきた。
が、頑なに答えなかった。
私の中には、「給食セットを洗いたくない」以外の答えが無かったから。
そんなアホみたいな理由を、小5の女子が言える訳がない。
あるとき担任は痺れを切らしたのか、「給食を食べないことを、お母さんに言って理由を聞いてもいいか?」と言ってきた。
それだけは避けたかった。絶対に。
そこから私は、徐々に給食を口にするようになる。
牛乳やパン、串のついたアメリカンドッグなど・・・「給食セットを使わずに食べられるもの」から。
人間、ちょっと胃袋に食べ物を入れると途端にお腹が空いてくるもの。
気が付いたら、普通に毎日給食を食べるようになっていた。
担任が結局母親にこのことを話したのか話さなかったのか、今でも分からない。
でも、言わないでいてくれたと信じて、このまま何もなかったことにしておこうと思っている。
これは本当にくだらない、私の子供時代の話。
本当にくだらない話。
だけど、当時の担任の先生は、私に対してどれだけ気を揉んだだろう。
心配をかけてしまって申し訳なかった。今となっては、謝りたくても伝える手段もない。
もしかしたら、本当は母も知っていたのかもしれない。知った上で、何も言わず、だからこそ毎朝毎晩、更にたくさんのごはんが食卓に並んでいたのかもしれない。
バブルの崩壊で家業が厳しい中、なんとかやりくりして、食材を買ってきてくれていたのかもしれない。
親の思い子知らず、だったのかもしれない。
本当にくだらない理由で、拒食の真似事をしてしまったと思う。
でも、案外子供って、そういう単純なところがあるのではないかと思ったりもする。
誰にでも、ほんの些細なことがきっかけで起こりえることかもしれない、と。
私も娘を授かった。この子が健やかに育ってくれることを心から願う。
ここまで読んでくださった方、私の昔話に付き合ってくださってありがとうございます。
これでおしまいです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。